不登校の子どもとの関わりは、
僕にとって、「海を眺めている感覚」に似ている。
青く、澄んだ海。
穏やかな波が、心地よいリズムを刻んでいる。
見上げれば、広く晴れ渡った空。
カモメが、曲芸飛行で視線をエスコートする。
じんわりとお尻に感じる砂浜の暖かさ。
ヤドカリが、ゆっくりゆっくり歩みを進めている。
僕は、海を眺めている。
両膝を胸の前に抱えて座り、その場所に存在している自分を、五感全てで感じている。
いつの間にか、そこに自分以外の誰かがいることに気がつく。
子どもが、いる。
僕は、その子に居場所を奪われないことを知っているし、
その子の居場所を奪わないことも知っている。
その子も、
隣に座って、同じようなポーズで、海を眺めている。
次第に退屈してくると、砂浜をキャンバスにして絵を書いたり、建築工事を始めたりする。
エネルギーが溢れだすと、遠くの方で、走り回って遊んでいる声が聞こえてきたりもする。
僕は、海を眺めている。
その子に、何か指図をするわけでもない。
ただ、一緒にいる感覚だけを味わう。
僕は、海を眺めている。
海を眺めながらも、ふと、
その空間にいる「自分以外の住人」が気になってくる。
そんな自分に気がつく。
ふと、風の心地よさを、言葉で形容して、共有してみたくなる。
ふと、完成に近づいた作品のタイトルを、当ててみたくなる。
ふと、元気に走り回る姿に、手を振ってみたくなる。
同じ空間で、
同じ時間を共有するようになる。
僕は、海を眺めている。
もう何年も。同じところから。
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