今日は教室の子どもたちと、映画『ビリギャル』を観ました。
有村架純さんが主演の映画です。
原作は坪田信貴先生が書いた『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』。
2013年末に発売した本作。2014年にたくさん売れたので、聞いたことがある方も多いでしょう。
僕は発売とほぼ同時に、たまたま本屋でみつけて買って読みました。
この本に関しては、たまたまアーリーアダプターでしたね笑
当時は大学院の最後の年+塾でアルバイトをしてたっけ。
まぁストーリーはだいたい皆さん知っているでしょう。
タイトルの通りですし。
僕が思ったこの映画の見どころはこんなところです。
1.親の課題を子どもに押し付けない。下の話にもつながるけど「ある基準を達成できなかったら無意味」っていう考えはよくないな。子どもが「プロ選手になりたい」とか、「○○大学に入りたい」って言ってるのは、本当に本人の希望なのかな?っていうのは大事ですね。親に押し付けられた道だと、プレッシャー感じていつしかパンクしてしまうだろうからなぁ。
2.「○○だからいい」「△△だからダメ」ということはなく、頑張ることは尊い。勉強を頑張っているさやかも、野球を頑張っている弟も、一生懸命何かに打ち込むのは素晴らしい。弟も高校で野球を続けていくことのプレッシャーから、野球部を辞めちゃったけど、これまで野球をやってきたことは決して無駄じゃない。
3.目標を持って、達成するプロセスってある。目標を持つ→努力する→結果が出る→結果に対して反応する、味わう。落ち着いたら、次の目標を見つける。といった感じ。あと、何を評価するかってとても大事。細かく見れば誉めるところはいくらでも出てくる。
4.坪田先生が缶コーヒーに合格のシールを貼ってプレゼントしたのが素敵。応援のエネルギーを、形にして伝えるのは大切。まぁ結果的に試験当日にそれを飲んださやかさんは、お腹を壊しちゃうことになるけど・・・それは仕方ない。
と、まぁ、こんなところでしょうか。
一緒に見てた教室の子どもたちは、「明日から勉強頑張ってみようかな」と話していました。
作戦通り、影響されてくれました笑
まぁ、適応指導教室っていうところは、たしかに不登校生徒の学習指導も大事ですけれども、
学習は適応の一要素に過ぎませんからね。
勉強やりたければ勉強したらいいし、映画見たかったら映画見たらいいくらいに思っているわけです。
上の3に書いたように、目標を持って、細かくほめて、達成を味わって、次のステップに進むという考え方は、教育の基本だと思います。
『ビリギャル』内では、さやかさんはまず小学生の問題を解いて、中学生の問題にチャレンジ。そしてだんだん、高校の問題へとシフトしていきました。わからないところまで戻る、というか、できることをやるっていうのは、とても大事なことだと思います。
適応指導教室に通い始めた子にとっては、
「見学に来た次の日もまた来てみる」っていうのが最大のハードルです。
他には、
「無理しないで疲れたら休む」っていうのもハードルだし、
「そうやって休んだ後に、また来れる」っていうのもハードルです。
まぁ、あれですね。
ほんといろんな子どもたちを見ていると、
「○○して当たり前」っていう価値観を抱くことは、僕にはないです。
一見すると「この年齢だけどこれが身についていないのか」ということも、
「今この課題を乗り越えようとしているところなんだなぁ」と変換してとらえることができます。
「○歳になったら、これができて当たり前」っていうのは、思うだけムダだなって最近は思います。
もちろん、「これができていて欲しいなぁ」と思うことはいいんですよ。
でも「当たり前」になった途端に、なんだか窮屈になる。
僕自身、29歳後半になって、
先日初めて父に誕生日プレゼント(白いキレイ目のカジュアルシャツ)を贈りました。
29歳になって初めて親にプレゼントなんて、親不孝者って感じですけど、
小学校2年生の時から母子家庭になった僕にとっては、
これでも精一杯の歩みよりなんですよね。
精神的な病を患っていて、施設で暮らしている父親だけど、
ようやくそのくらいの距離感まで歩み寄れました。
あ、父のことは全然恨んでたりとか、嫌いだったりはしません。
そこにある感情は、正直言って「無」ですね。
今の距離感が、近づくことは特に望まない、みたいな。
なんだかそっちの方が残酷なような気もしますけど。
何かどんどん話が横道にそれている気がしますのでまとめると、今日思ったことは、
「いつでも再スタートしてOK。その時持つ目標に、早いも遅いもない」
ってところでしょうかね。
P.S.
家庭ってホント大事だなぁと思います。
「ビリギャル」の映画の中でも、家族が再び結束していってよかった。
今読んでいる「サラバ!」や「レモンケーキの独特な悲しみ」も、家族をテーマにしている気がします。
次回はそれらの小説から読む「家族の在り方」っていうのを語っていければいいかな。
この記事へのコメントはありません。